Short Story…





Short Story No 76




雨が降り注ぐ。壊れた蛇口から噴出す水のように激しく。

男は個室で、荒い息を吐き続けている。
傘は持っていなかった。それは突発的だったから。
先月購入したばかりのお気に入りのスーツも、シャツも、
男の身に着けているものの全てが、ずぶ濡れになり、汚れた。

こうなることを事前に知っていれば、何らかの
対処はできただろうが、今となっては、もう、遅すぎる。

仕事以外で使うことが無い物達が収まっている、黒い皮の書類ケースを
不衛生な床の上に置いた。

荒い息を吐き、震えた。
無理矢理に息を整えようと努力し、深く息を吸い込む。
何度か息を吸い込んでいるうちに、荒かった心臓の鼓動も整ってきた。

せめてコートを着ていればここまで濡れることもなかっただろうと、
男は悔やんだ。足の震えはいまだに止まらない。


早く家に帰らないと、早く。


男は、個室のドアを開け、顔を洗い、手を拭う。
そして、公衆トイレから出ると、息を吸い、意を決したように、また走る。
外は夜の闇、自宅まではあと少しの距離。男は、全力で走り続ける。
幸い、時間が時間なだけに、人通りは無く、男の邪魔をする者もいない。

男は自宅であるマンションに着くと、エレベーターには乗らず、
階段で、十階の自宅まで駆ける。
日ごろの運動不足も伴い、心臓が張り裂けんばかりに悲鳴をあげる。
男は自分の胸を掴み、階段を駆け上っていく。

ようやく自宅に着き、部屋の鍵を開け、部屋に入るとすぐに、鍵を閉めた。
男は勢いよく、まるで投げ捨てるように衣類を脱ぐと、すぐにシャワーを浴びた。
温水が、男を安心させ、安堵の溜息をつかせる。
そして、血の雨で汚れた男の体を、洗い流して行く。



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